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硝子戸の中
硝子戸のうちから外を見渡すと、ようやく咲きはじめたシュウメイギクの白い花だの、薄紫の花をまだたくさんぶら下げているツリガネニンジンだの、実をすっかり収穫されてただ立ち尽くすりんごの木だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てる程のものは殆んど視線に入って来ない。ダイニングにいる私(わたくし)の眼界は極めて単調そうでそうして又極めて狭いのである。
私は去年の3月一杯で勤めを辞めてから一年半が過ぎたがあまり市内へは出ずに、毎朝このダイニングの硝子戸から庭へ下りてトレッキングブーツを履くとウォーキングに出掛けるのがほとんど唯一の外出なので、世間の様子はちっとも分からない。2時間歩いて戻って来ると結構疲れるから読書もあまりしない。私はただ歩いたり若いころにむやみに買い過ぎたプラ模型を作ったりしてその日その日を送っているのである。
然(しか)し私の頭は時々動く。気分も多少は変わる。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起こって来る。それからただ歩いていても途中に時々人と出遭うことがある。それが又私に取っては思い掛けない人で、私の思い掛けない事を云ったり為(し)たりする。私は興味に充ちた眼をもってそれ等の人と立ち話したことさえある。
私はそんなものをもう25年程も前に友人にそそのかされて始めた自身のホームページに書き加えている。私はそうした種類の文字(もんじ)が、忙しい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念しないではない。私は電車やバスの中でポケットからスマホを出して、俯(うつむ)いて液晶画面を指で上に下にせわしなく動かしている人々の前に、私の書くような閑散な文字(もんじ)を列(なら)べて液晶画面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これ等の人々は地震や、オレオレ詐欺などの特殊詐欺や、人殺しや、すべてその日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、若しくは自分の神経を相当に刺激し得る辛辣な出来事の外(ほか)には、スマホで最新の情報を得る必要を認めていないが、その情報の真偽を吟味する暇などない位、時間に余裕を有(も)たないのだから、――彼らは駅や停留所で電車やバスを待ち合わせる間に、また電車やバスに乗っている間に、それでも飽き足らないとみえて歩きながら、甚だしきは車の運転をしながら、スマホを忙しくいじくって、どこの誰ともわからない者が発信する情報を鵜呑みにして、あるいはしばしば交信したり、あるいは我知らず悪だくみの拡散に加担したりして、
そうして役所か会社か学校へ行き着くと同時に、ポケットに収めたスマホの事はまるで忘れてしまわなければならないのだから。そうしてその役所でも会社でも学校でも、時間がないから面倒だから、結論だけで結果だけでいいんだと自分で考えることを止めて、知りたいことがあればGoogle先生に聞いて付け焼刃に過ぎない知識を得、文章を作る必要があれば生成AIに書かせて上手く書けたと錯覚すると同時に自分らしさを消滅させる。もっとも近ごろは男らしさだの女らしさだのと迂闊には言えない世の中だから将来は自分らしさも攻撃の的にされるのだろう。兎に角、彼らはそうやって捻りだした時間はスマホのゲームに熱中しなければならないのだから。
私は今此れほど切り詰められた時間しか自由に出来ない人達の軽蔑を冒して書いているのである。のかというと、先の懸念と矛盾するようだが、そこは大丈夫、私のホームページにはもちろん誰でもアクセスできるが読んでみようかと思う人はきっと極少数なのだしそんな人のなかにそういう人はいないだろう。
3年前から欧州では国連安全保障理事会常任理事国による、すぐ隣の小国への侵略戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当が付かない模様である。日本でも侵略を受けたその小国への支援の一小部分を引き受けた。地球温暖化はますます進行している。その影響で、毎日日本のどこかで線状降水帯が発生するし、毎日日本のどこかで熊が人を襲っている。衆参両院で過半数を割ってしまった自民党の総裁が辞めることになった。来たるべき自民党総裁選挙は政界の人々に取っての大切な問題になっている。新米が出たが去年の倍を遥かに超える値段である。他のいろんなものの値段は米に付き合っているが給料は付き合わないから、誰もが生活が苦しい苦しいと零(こぼ)している。年中行事で云えば、大相撲の9月場所が終わって津幡町出身の横綱大の里が優勝すると、石川県民は歓喜して興奮の余り、遅々として復旧が進まぬ能登の復興に元気が出たと云っている。要するに世の中は大変多事である。ダイニングの硝子戸からウォーキングに出るのが唯一の日課である私のホームページの記事にはならない。私がなにを書いても何処にもなんの影響もないが、何処の誰の邪魔にもならない。別に誰かから頼まれたわけでもなく、何処かから報酬を得ているわけでもないから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私のパソコンの都合と、プロバイダの都合とできまるのだから、判然(はっきり)した見当は今付きかねる。 2025年10月1日 晴耕雨読一年半の記念として 虎本伸一(メキラ・シンエモン)
晴耕雨読生活一年半の記念にと思って書いたのですが、これのどこが記念なのよ、しかし待てよ表題が「硝子戸の中」になっているけど夏目漱石に「硝子戸の中」というエッセイが確かあった、と気付いた人もいるでしょう。そうなんです。文章の骨格はそのままに中身を自分とこのごろに置き換えただけです。上手くできたかというと無理があったと思います。しかし10月のサウダージの中にいるぼくの今の気分はこんなものかなと思っています。それで夏目漱石の「硝子戸の中」が気になった人が少しはいるんじゃないかなという気がしたから「硝子戸の中」のまえがきにあたる最初の段を下に書いておきます。奇特な人が本屋か図書館で探して立ち読みする手間を省くことになると多少なりとも期待して。
硝子戸の中
一
硝子戸の中(うち)から外を見渡すと、霜除けをした芭蕉だの、赤い実の結(な)った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てる程のものは殆んど視線に入って来ない。書斎にいる私(わたくし)の眼界は極めて単調そうでそうして又極めて狭いのである。
その上私は去年の暮から風邪をひいて殆ど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中(うち)にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分からない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているのである。
然し私の頭は時々動く。気分も多少は変わる。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起こって来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中(うち)へ、時々人が入って来る。それが又私に取っては思い掛けない人で、私の思い掛けない事を云ったり為(し)たりする。私は興味に充ちた眼をもってそれ等の人を迎えたり送ったりした事さえある。
私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字(もんじ)が、忙しい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念している。私は電車の中でポケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字(もんじ)を列(なら)べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これ等の人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、若しくは自分の神経を相当に刺激し得る辛辣な記事の外(ほか)には、新聞を手に取る必要を認めていない位、時間に余裕を有(も)たないのだから、――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日起こった社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないのだから。
私は今此れほど切り詰められた時間しか自由に出来ない人達の軽蔑を冒して書くのである。
去年から欧州では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当が付かない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来(きた)るべき総選挙は政治界の人々に取っての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、何処でも不景気だ不景気だと零(こぼ)している。年中行事で云えば、春の相撲が近く始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中に凝(じっ)と坐っている私なぞは一寸(ちょっと)新聞に顔を出せないような気がする。私は書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂を押し退けて書くことになる。私だけではとてもそれ程の胆力は出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合と、紙面の編輯(へんしゅう)の都合とできまるのだから、判然(はっきり)した見当は今付きかねる。
(夏目漱石 「硝子戸の中」 新潮文庫)
「硝子戸の中」は第1次大戦勃発の翌年1915年(大正4年)の朝日新聞に連載された39編から成る漱石晩年の随想集で初回の原稿には「中」に「うち」とルビがふられていたそうですが当時の読者は「がらすどのなか」と読むのが一般的だったようです。それとこの漱石の文章は名文なんですが解りやすいとは言い難いでしょう。皮肉っぽいことを書いて非難しているのかと思うと自嘲的で、かと思うと、嫌々書いているようで、あるいは書いてやっているという感じでとても傲慢です。意味が判然としないところもあります。特に上から三分の二あたりの一文からだけ成る一段落「私は今此れほど切り詰められた時間しか自由に出来ない人達の軽蔑を冒して書くのである。」はどういう意味なのでしょうか。「軽蔑を冒して」は日本語のリテラシーを試されているように思えます。「軽蔑を冒す」なんていう表現は普通は成立しません。でも明治の大文豪は書いた。ぼくはこれを、軽蔑される危険を敢えて冒して、という意味に解釈しました。そう解釈するしかないと思うのですが、つまり、軽蔑したけりゃ勝手にしていろ、ということで、これは漱石の自信なんだろうと思います。そして最後に「自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。」と自嘲的に書いています。自分の日常をエッセイにして新聞に書くとすればこういうことになるのであって、書いて意味があるのかなどと考えていてはなにも書けなくなります。およそ随筆の類はすべてそうです。漱石のような人気作家だからこそ、もちろん卓越した文章力があるからなんですが、「自分以外にあまり関係のないつまらぬ事」でも人は読むのです。つまりこの最後の気弱にも見える自嘲的な一文もこれを書いてしまうところがまた漱石の自信なんだろうと思います。それにしてもこれが110年前に書かれたと思うと世の中なんてちっとも進歩しないもののようです。 2025年10月1日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)